ハンメの本明日発売

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祝☆出版!ハンメ長生きしてね!

ハンメ

ハンメとは韓国語で祖母のことだ。私が生まれた時に父方のハンメは蒲田に母方のハンメは川崎に住んでいた。私は川崎のハンメの家に行くことを、「レロレロハンメの家に行く」と幼いころ言っていたらしい。何が”レロレロ”なのか覚えていない”レロレロハンメ”はまだ健在だ。存命する唯一の祖父母だ。1927年日本統治下の韓国に産まれ戦後日本に渡ってきたハンメ

ハンメの半生が書かれた本が明日発売される。タイトルは「植民地下の暮らしの記憶~農家に生まれ育った崔命蘭さんの半生~」先週の土曜日筆者の永津悦子さんがハンメの家に発売される前の本を持ってきてくれた。とても楽しみにしていた。ジックリ読んだ。

余談だが私は高校生になるくらいまでハンメが名前だと思っていた。1度地元の病院へ付き添いで行き、お会計待ちしていた時。「崔命蘭(さいめいらん※日本読み)さん~」とコールされ隣に居たハンメが返事をした時の衝撃。何も言えなくて…夏。

かわいいぞ!ハンメの父

筆者が本の中でも指摘しているが韓国は儒教思想が根強く残っている国だ。私の叔父や叔母も祖父母の前で煙草を吸ったりお酒を飲むことはなかった。私はそのような風習には従わず、皆の前で若いころから煙草を吸ったりお酒を飲んできた。目上の人を敬う気持ちは持っているが、煙草やお酒は皆で楽しもうではないか。

目上の人は絶対だという空気の中、”ハンメの父がかわいい”と書くと親戚から怒られるかもしれないが本当にかわいい。ハンメの父母は春になると適当にプラプラ旅行に行ったそうだ。その旅行方法も今では面白く映り、宿泊場所など決めず一般の家庭へ行き「今晩泊めてくれますか?」と聞く。それでも泊めてくれる家がたくさんあったらしく、それが楽しみで色々な所へ行ったそうだ。

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当時の通知表
何という物持ちの良さ

ハンメは慶尚南道で農家の娘として産まれた。父方は慶尚北道の出身なので私たちは慶州にゆかりがある。向こうの故郷には1度しか行ったこがとない。お墓参りへ行った。お墓は円墳だった。

ハンメの小学生のころの話を読んだ。人は誰もが幼い時期を過ごし大人になる。自分が産まれた時からハンメだったハンメの幼いころを具体的に聞いたことは1度もなかった。以前聞こうとしたら母に止められた。

なので初めて知るハンメの幼いころの話はとても興味深かった。

ハンメの父は伝統的な갓(カッと呼ばれる黒い笠)を好んで被っていたそうだ。ハンメが小学生のころ運動会にきてくれたけど갓を被っていたから恥ずかしかったと書いてあった。ハンメのそういった感情を知るのは初めてだった。作中にはハンメの父の写真も掲載されている。見た目もかわいいし、柔和で良い人そうに見える。

電撃婚

小学校では「修身」の授業中咳払いも出来ない雰囲気だったことや、先生の家へ夜遊びに行くとたまにお菓子を貰えたことが書かれている。当時から卒業式では「蛍の光」や「仰げば尊し」が歌われていた。

幼いころから大家族で暮らしたので、5つ年下の甥っ子の面倒を小学生になる前からみていたことなど書かれていた。

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早寝早起き
そして身体を動かす
だから長生きなのでしょうか

その後戦争が始まりハンメは満17歳になった。嫁に行かないと挺身隊に捕られてしまうので大変だと結婚話が持ち上がり、互いの母親が互いを観に行き10日くらいで結婚が決まったらしい。1945年1月3日結婚。その後総督府の仕事につくが8月に終戦。

戦後、神戸の親せきの元へハラボジ(祖父のこと・ここではハンメの夫)が行ったので後を追い渡日。少し神戸に滞在した後、友だちも多く居てハラボジが以前住んでいた川崎に来たらしい。少しだけ自分たちがどうやって川崎に来たのかわかった。

他にも当時の農家がどのような暮らしをしていたのか詳細に記述されている。戦前戦中の朝鮮半島に興味がある方は必見だ写真もふんだんに掲載されている。

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付録にはたくさんの資料が掲載されている

何度となくハンメの家に足を運んでいただき、また韓国へ取材に行き丁寧にまとめてくださった筆者の永津悦子さん、出版社の三一書房さん、出版に携わった全ての人々ありがとうございました。

コメント

  1. Kazsang より:

    御祖母様の人生を綴られた本が出版されたのですね。おめでとうございます!ぜひ自分も拝読したいです。困難な時代を乗り越えられてきた御祖母様のご苦労を、若い世代の人たちに伝えることができるのは、本当に素晴らしいですね。

    先日、長崎への平和学習旅行の場で、世話人仲間の弁護士と日韓併合条約が持つ国際法上の瑕疵について、意見交換をしました。日韓併合を国策の過ちと認めること、それを実行できる政府を作らなければならないという議論です。

    20世紀を生きた庶民の人たち、末端で日韓併合による不当な権利侵害を受けた人々の証言に、自分はもっと学ばなければと思います。また直接お会いしたとき、さんはんさんのおばあさまのお話を、詳しく伺うことができれば幸いです。

    • さんはん より:

      コメントありがとうございます。

      長崎!行けなくてごめんなさい。
      いつかご一緒したいですよ、本当に。

      日本こそ核兵器禁止条約に署名しないといけないと思うのですが、
      何故政権は署名しないのですかね。やはりアメリカの顔色ばかり窺っているのでしょうか。

      日韓併合後の朝鮮人の人々は学校教育でも差を設けられていたようで、
      お陰でハンメは日本語余り読めないし書けないです。
      慰安婦も酷いことですが、教育に関してもなんだかなぁと思いました。

      ハンメといつか果物でも食べましょう!

  2. Kazsang より:

    ご返信を有り難うございます。核兵器禁止条約、外務省は日本語訳を作成していませんね。しかし条文は被爆者を当事者とする文言を明確に表示しています。条約は50カ国の批准を得て発効となりますが、国連での採択から2年、まだその半分に達したばかりです。

    現政権は、第二次大戦の戦勝国に核兵器保有の特権を与えた、NPT体制下での国際秩序を最適解と見なし、唯一の被爆国としての発言権を放棄しています。米中の中距離核戦力競争が始まろうとする中で、来年のNPT再検討会議はどこに着地できるのか、不安です。

    31日ですが、15時より高校生たちが原宿神宮橋で、ヒバクシャ国際署名活動に取り組みます。お忙しいとは思いますが、お時間があればぜひ遊びにきてください。さんはんさんのおばあさま、お会いできる日を心から楽しみにしております。

    • さんはん より:

      詳しい解説ありがとうございます!

      核兵器がこの世から無くなることはあるのでしょうか。

      NPT(核拡散防止条約)もおかしな話ですよね。
      いうなれば核兵器の既得権益ですよね。
      条約成立以前に保有していた5か国の核兵器は是認。
      アメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国。
      国際連合安全保障理事会の常任理事国でもありますね。
      戦後74年…まだまだこの流れは続くのでしょうか。

      31日お誘いありがとうございます。
      しかしその日は幼馴染が働く山小屋へ行く予定です。
      前日から出発予定ですが山の天気が悪く、
      行かなくなりましたら原宿お邪魔いたしますね。

      ハンメに会うならば、
      帰りにジンギスカンでも行きましょうね☆

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