橿原神宮の話

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神武天皇陵墓のある橿原神宮

まずは橿原神宮へ

ファーストキャビン烏丸をチェックアウトし京都駅まで出て、近鉄京都線に乗り大和西大寺駅へ。大和西大寺駅北口から徒歩10分ほどの場所には平城宮跡がある。この日の目的地は橿原神宮と飛鳥寺周辺だ。大和西大寺駅では乗り換えをした。近鉄橿原線に乗りつぎ、橿原神宮前駅で降りた。昨夜の京都も雨だったが、この日も雨だった。この頃の私は、折り畳み傘を使いこなせていなかった。きちんと折り目正しくたためなかったのだ……(数年後トレーニングを重ね、たためるようにはなりました) 橿原神宮前駅構内にファミリーマートがあった。そこでビニール傘を買ったことを思い出した。レジのおばちゃんと二言三言何かを話したイメージが浮かんできたが、何を話したか当然覚えていない。とにかくビニール傘を買って、雨がポツポツ降る中まずは橿原神宮へ向かった。

橿原神宮

橿原神宮前駅からトボトボ歩いてどれくらい歩いただろうか、10分くらいかな。通り沿いにどでかい鳥居が見えてきた。その鳥居から参道が続き、数個の鳥居が立っていた。

橿原神宮には日本の初代天皇と伝わる神武天皇のお墓がある。では、橿原神宮はいつ出来たのだろうか?開業は1889年(明治22年)なのだ。そう、明治に入ってからである。というのも、橿原の地に神武天皇陵墓を造営整備したのは江戸後期の文久年間(1861~1864)からである。 大掛かりな天皇陵の造営・修繕が行われており、その数は100基以上にのぼる。 すなわちペリー率いる黒船が浦賀に来航し、国内では尊王攘夷の気風が高まっていたまさにその時なのだ。国威掲揚の意味もあったのだと私は考えている

出典は『歴史人』2015年1月号

とにかく、そんな橿原神宮へ行ってきた。入り口には皇紀2674年の文字。皇紀とは1872年(明治5年)に明治政府が神武天皇の即位年(紀元前660年)を元年とした紀元である。ただし、これは記紀神話(古事記、日本書紀)をもとにしたものであり、歴史的事実はどこにもない。また、この裏には明治政府が抱えていた財政問題を一挙に解決した、太陰暦から太陽暦への変更も関係していることを指摘しておく。

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皇紀からいつ旅行に行ったのか判明した

明治から太平洋戦争終了まで続いた皇紀。このサンライズ旅行に行った年月をハッキリさせるのに役立つことになるとは…!皇紀を西暦に変換するのは簡単だ。B.C.660=皇紀元年となる。なので、皇紀から660をマイナスした数字がその年の西暦だ。ということで、このサンライズ旅行は2674-660=2014となり、2014年ということが判明した。橿原神宮ありがと。この旅はDylan旅の同年、その一月前ということがわかった。

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霧雨の内拝殿

橿原神宮をあとに

1時間くらい境内を見て、橿原神宮をあとにした。そこから徒歩で飛鳥寺へ向かった。橿原神宮前駅から歩いて30分くらいで行けるのだ。雨も強くなってきて、一人トボトボ県道からあぜ道へ。古民家が立ち並ぶ通りを抜けると飛鳥寺はもうすぐなのであった。

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