蘇我氏が好き
日本古代史に燦然と輝く一族、蘇我氏。私は蘇我氏が好きだ。いつからだろうか。歴史に興味を持ち始めたきっかけが三國志だったことは、ハッキリ覚えている。蘇我氏に対する思いはいつからだろうか。とにかく気になり好きなのだ。
私はこれまで、”蘇我入鹿の首塚”を見に行くため飛鳥王朝の息吹が残る奈良県明日香村を3回訪れた。一度は旅行の道中で行った。後の2回は奈良県奈良市菖蒲池町から2度訪れた。そうなのだ。私は一時期ひょんなことから、一瞬だけ奈良県に住んでいた。
その時はろくに仕事をしていなかったので日がなまろさんと一緒に色々な史跡を巡っていた。なんと素晴らしい日々だったろうか。東大寺はもちろん、興福寺、春日大社、平城京大極殿跡、唐招提寺、薬師寺、法隆寺、飛鳥寺、石舞台古墳、キトラ古墳、高松塚古墳、橿原神宮、菖蒲池神社など様々な場所へ行った。とても面白かった。吉野へ行けなかったことが残念だ。いつか行こう。近鉄奈良駅近くの飲み屋が、後2時間やってくれればと思わなくもないが、スパッと閉まるあの光景も独特で良いのかもしれない。いつかそれぞれの話を書こうと思う。話は蘇我氏にもどる。
入鹿の首塚
皇極天皇の治世である645年、乙巳の変にて中大兄皇子や中臣鎌足、蘇我倉山田石川麻呂などに蘇我入鹿は討たれた。刎ねられた首が飛んできたと伝わる場所に”首塚”はある。飛鳥寺のすぐそばだ。いつ行っても、首塚は綺麗にされていて花が置いてあった。日本史で習う蘇我氏は、悪役として描かれることが多いけど、首塚を見るたびに”大切にされているのかな?”と思うのであった。綺麗にしてくれている人ありがとう。私のような観光で訪れる人、たぶんみんな喜んでいますよ。またいつか訪れたい。首塚の写真はないの?と思うだろうが、何故かないのです。撮ったと思うけど、撮らなかったかな。
石舞台古墳
飛鳥寺から車で少し行くと石舞台古墳がある。蘇我馬子(入鹿の祖父)のお墓と伝わるが、真相は定かではない。元々は墳丘もあったが、馬子の横暴に怒った人々が後世除去したと言い伝えられている。墳丘がないので巨石がむき出しになっており、その石の上でキツネが踊ったことから石舞台古墳と呼ばれるようになったと伝わっている。キツネが踊る姿を想像してほしい。現在の石舞台古墳周辺では、春は桜や桃、秋になると彼岸花が咲く。キツネが踊った時も、周りに花はあったのだろうか。
石舞台古墳の玄室にも入ることが出来て、訪れた人々は思い思いに写真を撮っていたよ。まろさんも抱っこをして連れて行ったね。歩けるところは歩かせて。
昔の人が蘇我馬子に対する恨みから、お墓をメチャクチャにしたのだとしたら悲しい気持ちになる。けれども、古墳の玄室に入れたり剥き出しの巨石を見られることも嬉しい。なんとも複雑な気持ちになるが、何度でも訪れたい良い場所だった。またいつか、蘇我氏についてのことを書く。
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