干支

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十干十二支楽しいです☆

流れたスタジオ入り

本来ならば本日スタジオに入りHPに詩だけは載せているものを録音して公開する予定だったが、ホンフゥ君が忙しく来週になったのである。仕方のないことだ。私の方が日程の調整しやすいので合わせるのは当然のこと。

また来週までギターを弾く時間が増えたと前向きに捉えている。次回は「パワーホール」と「屍を乗り越えて」を録音してくる予定だ。どちらも大好きな作品。特に「屍を乗り越えて」は作って以来、ライブをやっていた時は必ず歌っていたと思う。どんなメロディなのか、適当に妄想しながらお待ちください。

十干十二支

干支(かんし)。えと、とも読まれる干支は十干十二支を組み合わたもので、使用は中国の殷代からである。漢代には干支紀年法が一般化し日本では5世紀の金石文にみえ、元号採用後も併用されてきた。殷は紀元前17世紀ころから紀元前11世紀ころまで続いた、現在確認しうる中国最古の王朝である。(夏王朝の実在が立証されそうだが)なので、とても古くから私たちアジアに住む人々の生活と関わってきた考え方だ。

甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸十干子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥十二支。これらを合わせて干支という。十二支は現在でも生活に密接しているので多くの人が覚えている。だが、十干はそこまで浸透していなかった。

※読み方わからないのがある場合は最後の見出し”読み方”へ

一昨日YouTube生放送で幕末の話をした。「戊辰戦争」の説明をしているとき聞いてくれていた人たちの反応で、十干の知名度の低さに気付いた。戊辰戦争は十干の戊と十二支の辰の年に起きたから戊辰戦争と呼ばれている。友人らの反応は「十干…?」であった。

還暦も十干と十二支からくる考え方だ。十干が甲の時十二支は子。そこがスタートで毎年1つずつずれていく。十干の方が2つ少ないので2回目の甲が出てくるころ十二支は戌だ。翌年は乙亥。10と12の最小公倍数は60だ。60回暦がまわるとまた初めの甲子に戻る。なので還暦だ。ひと昔前は寿命もそこまで長くなく、干支2周り目に突入する人も少なかったのだろう。赤いチャンチャンコを着てお祝いしたのも今は昔か。

根強い民間での迷信

日本では「丙午(ひのえうま)の年に産まれた女性は気性が荒く旦那が短命になってしまう」といった、根も葉もない噂がずーっとあった。どれくらいまであったかというと、戦後まであったのだ。

直近の丙午は1966年(昭和41年)。なんとその年の日本の出生率は前年に比べ25%も下がったのだ。翌年からは出生率は回復し、出生数が1966年を下回るのは本格的な少子化時代に突入する1989年以降である。人々の間に干支が密接していたとわかる出来事だ。

次の丙午は2026年。人々がどのような動きを見せるのか今から気になって仕方がない。

干支由来の身近な球場

甲子園球場のネーミングも干支から来ている。起工式が行われた1924年(大正13年)が甲子という縁起の良い(十干十二支の最初の組み合わせだからそう思われている)年だったので甲子園大運動場と名付けられたのが始まりだ。(起工式の前にも仮名称などはあったが割愛)

他にも日本史で習う日本の戸籍や合戦には干支由来のものがたくさんある。特に古代史には中高生が習うものにも干支由来があるので記載しておく。丁未の変、乙巳の変、庚午年籍、康寅年籍などがそれにあたる。他の時代にもあるので、気になった方は調べてみてほしい。

読み方

十干

甲…きのえ、コウ

乙…きのと、オツ(十二支と組み合わさるとイッと読む) 

丙…ひのえ、ヘイ

丁…ひのと、テイ

戊…つちのえ、ボ 

己…つちのと、キ

庚…かのえ、コウ

辛…かのと、シン

壬…みずのえ、ジン

癸…みずのと、キ

十二支

子…ね、シ

丑…うし、チュウ

寅…とら、イン

卯…う、ボウ

辰…たつ、シン

巳…み、シ

午…うま、ゴ

未…ひつじ、ビ

申…さる、シン

酉…とり、ユウ

戌…いぬ、ジュツ

亥…い、ガイ

コメント

  1. hun より:

    ちなみに甲子産まれです、めでたいね!

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