留学生真備
奈良時代の公卿・学者であり、右大臣にまで上り詰めた吉備真備(きびのまきび)。695年に生まれ775年に亡くなるが、その間717年から735年まで留学生として唐に派遣されていた。橘諸兄のもとなどで活躍した真備だが、今まで彼が書いた文字はどこでも発見されていなかった。
所が、中国にて発見されたという報道が始まった。広東省にある博物館の館長が、2013年に入手した唐代官僚の墓誌にその筆跡が見られるという。果たして本当に真備が書いたものなのか。古代より脈々と交流してきた近隣諸国と、仲良くしてほしいなと改めて思う。
吉備地方
真備はその名前からわかる通り、吉備地方の豪族出身である。吉備地方は真備が活躍した時代より前の、古代などでは出雲、大和、などと並ぶ地方国であったと伝わっている。吉備国はその後律令制下に組み込まれ、備前、備中、備後、美作の4カ国にわかれる。大体ここら辺が吉備地方である。
古墳時代には巨大な前方後円墳も造られており、一定の影響力を有していた吉備。地元吉備から唐へ行き、帰国後は朝廷の中枢で活躍した吉備真備。世紀の大発見となるか注目だ。
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